時系列データ 
9月30日 21時10分 2年5組担任、I教諭より母親宛に電話。
陵平が学校でお菓子を食べた。9月29日にその件で学校で指導があった。来週の学年集会の場で、(学級委員などの)リーダー格の生徒には、みんなの前で決意表明をしてもらうかも知れないので、その準備をするように(この指導は過去に行なわれたことがない)。

また、陵平が学校にライターを持ってきていたようなので、その点を母親から確認して欲しい。ライターの件に関しては該当する生徒すべての保護者に学校に来てもらうようになると思うとの連絡。
母親、陵平にその件を確認。
 

9月30日 22時10分 陵平、自宅マンションより飛び降りる。
救急車で朝霞台中央総合病院に運ばれる。
 
10月1日 0時13分 陵平息を引き取る。
 
10月1日 0時30分 母親、担任に電話連絡。
この後、午前3時近くまで警察官によって調書が作成される。主に母親が答える。

この間、病院に新座二中のI教頭、学年主任Y教諭が来る。
遺体がマンションのエレベーターに入らないため、東上セレモに仮安置。
 

10月1日 3時30分 学校より電話。これから伺いたいと言うことだったが、遺体もなく、深夜であるため明朝おいでいただきたいと返事。
 
10月1日 4時 A校長、教頭、I教諭、自宅に来る。陵平の遺体がないからと断わったにもかかわらず。
 
10月1日 10時位 A校長ら自宅へ。臨時全校集会を開き、生徒に「命の大切さを伝えたい」という。子供を失った親の前で、なんと無神経なことをいってくれるのだろう。どんな言葉で伝えてくれるのか、失礼ながら事前に知りたいと申し入れる。
A校長、下書きを持ってくると約束。
 
10月1日 夜 A校長、下書きは持ってこない。「何を伝えるべきかご両親からお伺いしたい」とのこと。丹念にメモを取る。
 
10月2日 8時30分 臨時全校集会に参加。A校長の話は、先日こちらがいったことの棒読み。なにも伝わるはずがない。

私達はそれぞれに、子を失った親の心情を生徒に訴えかけた。話を終え、席に戻るとI教諭が父親Tに対し、「学校やクラスで何かあったのでしょうか」と聞く。

「それは私に聞く質問ではない、それを聞きたいのは私だ」と答える。
後ほど校長室で「失礼なことを申し上げたI教諭を指導する」とA校長約束。

父親は「あなたにそれができるとは思わない。本当に指導するつもりがあるなら、口だけでなく結果で示して欲しい。」とつたえる。

初七日までA校長日参。この時点でお菓子を食べた他の20人に対するフォローなしとのこと。(後追い自殺などの)危険もあるので、ここに来るよりも、その時間を生徒のために使って欲しいと、今後の来訪をお断わりする。

この間、再三にわたってお菓子事件のいきさつ、金曜日に行なわれたという指導の詳細を知りたいと申し入れるが、何の情報も提供されない。
 

10月10日 新座市教育長宛、面会申込。「先日おいでいただいた件のお礼と報告したいことがあるのでお時間をさいて欲しい」。女性職員応対。
 
10月11日 教育長は今週・来週とも多忙のため会えないと女性職員より返事。お礼は気持ちだけ受け取っておくとのこと。再度面会を申し入れるが、この後連絡なし。
 
10月12日 このまま待っていても何の情報も手に入れられないと思い、A校長宛ファックス送信。
 
10月14日 「ファックスを受け取った」という連絡すらないため、再度ファックスで情報提供を申し入れる。
 
10月14日 A校長よりファックスあり、管理主事訪問、体育授業研究会、職員関係の葬儀等があるため返事は来週まで待って欲しいとのこと。
 
10月16日 A校長よりファックス。A4、1枚にも満たない箇条書きの文章。我が子が、死を選択する直前、どんな体験をし、どんな気持ちを感じていたのか知りたいという親の気持ちをなんと考えるのか。保身を第一に考え、出来事をうやむやにすまそうという姿勢に怒りを感じる。
 
10月16日 より詳細な情報を提供してくれるよう、A校長宛ファックス。
 
10月19日 A校長よりファックス。出張が続くため猶予をとのこと。
 
10月19日 A校長宛ファックス。度重なる引き延ばしを抗議。
 
10月20日 A校長よりファックスあり。用件満たさず。
 
10月20日 教育長に再度面会を申し込む。対応した職員に「二中の対応に問題があるので相談に乗って欲しい」とつたえる。
 
10月20 11時 A校長に電話。I教諭、O教諭、Y教諭、A教諭、A校長で自宅マンションに来て欲しいと申込。父親、母親の他にマンションの知人1名に参加してもらうことを伝える。目的は話し合いを冷静に進めるため。仕事の都合もあるため、日時の候補を2つ、20日午後3時までに連絡して欲しいと申し入れ。

A校長より新座市の弁護士を同席させたいという申し入れあり。検討の上了解。「ご両親の自宅でも学校でもなく別の場所で話し合いたい」というが、陵平の写真の前で話し合いたいと伝える。
 

10月20日 3時30分 A校長より再度電話。新座市役所で、話し合いを持ちたいという。理由を聞くと弁護士の都合という。

「それは本末転倒ではありませんか。話し合いの主体は私たちと先生方なのですから、弁護士の都合で話し合いの場所や時間が決められるのは筋違いです。だとしたら、私たちと先生方だけで、陵平の前で話し合いましょう。」と申し入れる。

「それはできません。」というので、話を打ち切る。
 

10月21日 母親、二中に電話。「陵平の私物などを取りに行きたい。」
担任が届けに来るというので、待つ。

4時30分より約2時間、I教諭、Y教諭、M教諭と話し合い。
I教諭「もっと早く来たかったがA校長に止められていた。」
Y教諭「詳しいことは学年主任という立場上申し上げられない。」
M教諭「現在、会議中なので、発表できる具体的なものはない。」
言い訳、ごまかしの連続に激しい憤りを感じる。
 

10月23日 新座市教育委員会より父親T宅の留守番電話に連絡あり。「部長と次長が本日10時よりお待ちしておりますので、よろしかったらおいでください」とのこと。教育委員会に電話。「私がお願いしたのは、教育長とお話ししたいと言うことで、それは教育長から、今回の(陵平の)件で何か問題がありましたら何でもおっしゃってくださいといわれていたからです。それから時間の件も、仕事の都合があるので候補を2つあげてくださいとお願いしてあるはずです。」

「このようなケースでは、最初から教育長がお話しすることは慣例にありません。それに、教育長は出張等が多くなかなか時間がとれません。」

教育長と話がしたいということ、日時の候補を2つあげて欲しいことを再度申し入れ。二中の対応と酷似している。
 

10月24日 新座市教育委員会総務、A係長より連絡。部長対応とのこと。
 
10月25日 16時からのアポを入れる。
 
10月25日 16時 新座市役所で、教育委員会学校教育部部長、Kと同課長、Iと面談。約1時間。二中に対し「お菓子事件」に関する指導内容について速やかに説明するよう指導を要請。人権を無視した行きすぎた指導、二中教師の暴力、無神経な指導内容についても話す。
 
10月26日 17時 I課長より留守電。二中(A校長、担任のI教諭、Y教諭)、教育委員会、父親T、母親の話し合いの場を設けるとのこと。
 
10月27日 11時30分 父親T、新座市教育委員会に電話。O教諭、S教諭、A教諭(野球部顧問)の3名を加えて欲しい。話し合いの場は陵平の遺影の前、マンションでと申し入れ。
 
10月27日 17時20分 I課長より留守電。3名の追加は了承。通常こうした場合は公共施設を使用することになっているため、東北コミュニティセンターでということで了承して欲しいとのこと。
 
10月30日 午前 新座市教育委員会に電話。東北コミュニティーセンターで了解と伝える。
 
10月31日 17時30分 教育委員会 K部長、I課長。二中 A校長、T教務主任、Y教諭(2年学年主任)、I教諭(担任)、O教諭、S教諭、M教諭、A教諭(野球部顧問)、父親T、母親、P(長男)で、会合。9月29日の出来事がようやく知らされる。

話が始まる前、I課長が父親の用意したテープレコーダーの件に言及。気軽に話すことができないからテレコはいかがなものかとのこと。「自分の発言に責任を持つという観点からも録音をしたい」と伝え了承を得る。

9月29日、16時30分?18時まで、2年5組の生徒7名と他のクラスの2名、途中から加わった3名の生徒を対象に、Y教諭、K教諭、I教諭、N教諭、M教諭らの教師、合計12名が指導を行なったとのこと。

陵平の死の原因はいまとなっては特定できないが、学校での指導が何らかの要因であることを認めるか、と聞くと数名がうなずくが他は無言。反論がないということは認めると理解して良いか、と再度聞くと無反応。「何らかの要因であると全員が認めたものと理解します。であるならば、今後指導体制を見直して欲しい」と3項目の申し入れを行なう。

●指導方法の改善
1. 「多数の教師による少数の生徒に対する指導」
2. 「反省文を書かせること」
3. 「生徒に他の生徒の行動を密告させるような人権無視の指導」
以上の即時・無期限の停止

●全校生徒およびその保護者に対するアンケートの実施
内容:二中および個々の教師に対する要望事項(現状の把握、改善すべき事項が明確になる内容であること、希望者のみ記名とすること、アンケート内容は事前に知らせてもらい確認したいこと、集計結果は生徒、保護者、市教育委員会、父親、母親に開示すること)

●ホームページの開設
開かれた学校、人権尊重教育を行なう学校として情報開示を行ない、疑問・質問に即時に対応できる体制づくりをすること。
次回の会合のスケジュールを、11月2日までに連絡してくれるよう申し入れ。
 

11月2日 18時30分 教育委員会より連絡。11月17日もしくは11月21日にとのこと。
 
11月7日 11時30分 教育委員会に連絡。11月17日にしたい。
 
11月17日 15時30分 東北コミセンで教育委員会 K部長、I課長。二中 A校長、I教頭、T教務主任、父親T、母親、P(長男)で、会合。10月31日の提案事項についての返事を聞く。

すべての項目に関して、合意できないとの回答。
11月22日の「生命の応援団としての大人たち」の案内を学校で配布できなかったことについて抗議。「私的」な文書は学校およびその機構を使って配布できないとの回答。

学校が生徒や保護者に対して必要な説明を行なっていないから、こうした会合が計画されるのであって、それを「私的」と言うことは本末転倒、と抗議。

生徒に対する説明は、10月2日の集会で、保護者に対する説明は10月3日の保護者会で完了しているとの返答。
訴訟も辞さないことを伝える。
 

11月17日 20時30分 新座二中にファックス。次回の会合を11月21日18時から、東北コミセンまたは新座二中で開きたい。
 
11月18日 14時 朝日新聞の取材を受ける。
 
17時30分
A校長より留守番電話。
 
11月21日18時より東北コミセンで、とのこと。
11月20日 新座二中、教育委員会に朝日新聞の取材が入る。
 
11月21日 18時 東北コミセンで、教育委員会 I課長、A係長。二中 A校長、I教頭、T教務主任、父親T、母親で会合。

二中からの回答。
●個別指導を原則とする。緊急性を要する場合などには、複数教師による集団での指導もあり得る。

●生徒に他の生徒の情報を聞くことに関しては、いじめや暴力の場合に、事実確認として聞く場合がある。

●アンケートは実施しない。学校に対する要望は面談などの行事を通じてキャッチする。

●ホームページに関しては、学校にインターネット環境がないため作ることができない。

こうした回答に対し、原則と例外の判断基準を明確にすること。アンケートの実施は現状を把握し、すすむべき方向性を明確にするために必須であること。インターネット環境は校長判断で用意できるはずであることを伝える。

教育委員会側からは、さかんに「基本的合意ができたようであるから、今後の話し合いは学校と両親とで」「学校での方針は校長が決めるものであり、そのための意見は、あなた方だけでなく議員やPTAからも聞くものである」というメッセージが出される。
 

11月22日 19時30分 新座市 東ふれあいの家で「生命(いのち)の応援団としての大人たち」が開かれる。約60名が参加。学校側、教育委員会からは出席なし。

父親T、母親でこの間の経過などを説明。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞が取材に来る。9時半の閉館ぎりぎりまで活発な意見交換がされる。過去にさかのぼり学校の対応に対する疑問、教育委員会に対する不満がでる。
 

11月24日 朝日新聞埼玉版に「生命(いのち)の応援団としての大人たち」の記事が掲載される。
 
11月25日 ある新座市議会議員より12月から開催される市議会の一般質問で陵平のことを取り上げたいとの申し出を受ける。
 
11月27日 新座市議会では12月15日に3名の議員から陵平に関する一般質問が行なわれるとの情報がはいる。
 
11月28日 次の会合に関する連絡が入る日なのに、連絡がない。

夕方、教育委員会より母親に電話。教育委員会は、今後の動きを見守るとのこと。

直後にA校長より母親に電話。29日職員会議を開く。その提案内容(私案)を説明。次回会合に関する話はない。
 

11月29日 17時 新座市教育委員会宛にファックス。新座二中側と我々の間で何の合意もできていない段階で、なぜ会合への参加を中止するのか抗議する。

新座二中では今後の指導方法や情報開示に関する職員会議が開かれている。19時、会議の結果連絡が入らないので校長に連絡を入れると帰ったとのこと。結果を知らせてほしいということ、次の会合の日程を決めてほしいとのファックスを入れる。

20時よりTBSの取材を受ける。
 

11月30日 8時 産経新聞の取材を受ける。
 
12月1日 産経新聞埼玉版に「生命(いのち)の応援団としての大人たち」 の記事、12月1日から20日までの新座二中学校開放の記事が掲載される。
 
12月4日 14時 埼玉県内の法律事務所に電話。12月9日のアポをとる。
 
12月4日 18時40分 新座市教育委員会I氏より電話。11月29日に送ったファックスの件で報告するとのこと。文書での回答を希望したはずと伝えると、文書ですとうまく伝わらない場合があると言う。毎回繰り返される言い訳だ。文書での回答を要請。
 
12月7日 8時45分〜 新座二中へ。学校開放の状況を見たかったのだが、保護者は誰も来ていない。「いままで学校に来た人は何人くらいいた?」と生徒に聞くと「一人か二人かな」。心配していたことが起きている。学校開放の案内に、学校開放と陵平との関連が明記されていないに違いない(案内は私たちには届かず)。校長不在のため教頭に確認するとアンケートの回収数は3とのこと。

あるクラスの前に立っていると「分かったやつから手を挙げるように」という男性教師の声が聞こえてくる。「やつ」という表現は、中学校では普通のことなのだろうか。3年男子トイレにはペーパーがひとつもない。全トイレに鏡がない。気のせいか殺伐とした雰囲気を感じた。
 

12月12日 21時30分 TBSの取材を受ける。
 
12月13日 産経新聞埼玉版に、学校公開の様子(来校者10人)の記事が掲載される。

二中で、学年保護者会が開かれる。母親は、担任に「3月まで学校便り・学年便り等、いただけないか。」とお願いする。「分かりました。」と返事をもらう。

TBS「ニュースの森」で陵平の件が放送される。
日本テレビの取材を受ける。
 

12月14日 朝日新聞に「学年保護者会」の記事が掲載される。
TBS「エクスプレス」で陵平の件が放送される。

新座市議会定例会一般質問で保坂フミ子議員が陵平の問題を取り上げる。

TBS「ニュースの森」で陵平の件が放送される。
夕方、日本テレビで陵平の件が放送される。
 

12月15日 朝日新聞・産経新聞・毎日新聞・埼玉新聞に、14日市議会の一般質問が報道される。

新座市議会定例会一般質問で田中幸弘議員・星川一恵議員・大矢道子議員・中田勇議員が陵平の問題を取り上げる。

TBS「ニュースの森」で陵平の件が放送される。
 

12月16日 朝日新聞埼玉版に15日市議会の一般質問・答弁が報道される。
 
12月19日 二中PTA「合同委員会」開かれる。母親も広報委員長として出席。

マスメディアに捏造されたものは一体何か?
新聞報道・マスメディアに対して、PTAは断固許さない。」
「マスコミを使って、二中の名を傷つける行為はやめて欲しい。」
などの意見が出される。
 

12月20日 産経新聞に、「告げ口指導か」の記事が掲載される。
 
12月23日 新座二中よりアンケートの結果が郵送される。自由回答部分の情報が一切欠落している。
 
12月29日 読売新聞埼玉版に「なぜ死を選んだか」の記事が掲載される。
 
1月4日 情報公開資料が開示される。申請してあった「議会での教育長の答弁資料」が「不存在」のため開示されない。議会での答弁はどのような資料に基づき行なわれたのか、教育委員会に質問をするが、その回答はいまだに無い。
 
1月10日 教育誌「ニコラ」1月号に、父親の手記が掲載される。
 
1月17日 19時〜 二中PTA「理事会」が開かれる。

その他の議題で、「12月の合同委員会の話し合いを基に、マスコミと市議会に書面で申し入れをしたい。」と提案される。その話し合いの中で、「生命の応援団」に関する誤った事実認識が発言に上る。

閉会後、母親は校長先生・教頭先生に挨拶。「生命の応援団」集会案内を手渡し、集会の趣旨を伝えた上で参加のお願いをする。全校アンケートの自由回答部分のまとめ・公開について再度依頼をする。また、学校便り・PTA理事会便り等の配布についても再度お願いする。
 

1月20日 18時30分 新座市 東ふれあいの家で「生命(いのち)の応援団としての大人たち Part 2」が開かれる。突然の大雪にも関わらず、約60名が参加。学校側、教育委員会からは出席なし。

母親「悩む子の背中を私は押したのか」と当日を振り返る。TBS、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、東京新聞、埼玉新聞が取材に来る。個人的な体験を含め、様々な意見が出される。
 

2月5日 13時 某氏の働きかけにより、教育長との面談が実現。K部長、I課長同席。録音しないこと、会話の内容をマスコミに流さないことを事前に確認される。
 
2月6日 19時30分 朝日新聞社会部記者の取材を受ける。
 
2月10日 教育誌「ニコラ」2月号に、母親の手記が掲載される。
 
2月17日 18時30分 新座市 東ふれあいの家で「生命(いのち)の応援団としての大人たち Part 3」が開かれる。約70名が参加。学校側、教育委員会からは出席なし。

父親「学校側の指導と陵平の自死との因果関係」を語る。TBS、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、東京新聞が取材に。教育関係者、高校生、保護者、それぞれの立場からさかんに意見が出される。

 


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